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宮城県の復興計画とビッグプロジェクト

宮城県の復興計画とビッグプロジェクト

8月1日(木)
東北メディカルメガバンクと国際リニアコライダーが宮城県の「復興計画」最終案に突如盛り込まれた理由

 標記の2つのビッグプロジェクトが、2011年8月に出された宮城県の復興計画最終案に突如盛り込まれました。この2つがなぜ最終段階で急に復興計画に入り込んだのかは、ずっと謎でしたが、当時の資料の検証や当事者の証言などから、その経緯や真相がやっと見えてきました。以下、県議団事務局が調査した内容について記述します。

1、国際リニアコライダーは宮城県の復興会議の委員を務めた井上氏(当時、東北大学総長)の発言が盛り込まれたもの

 ・最初の発言は、宮城県震災復興会議の第1回目の以下の発言でした。「5年後、10年後、何も神戸の震災復興等にまねするわけではないにしても、青森県の原子力関係はどうかわからないんですが、少なくとも1兆円規模の国家プロジェクトを宮城県、福島県あるいは岩手県に導入する。国の科学プロジェクト等、例えば今東北大学も去年、今年と地盤調査させていただいているリニアコライダーの誘致。これは3,000名とも言われている科学者が世界から集まり常時滞在することになり、5年、10年先を見据えたそれこそ新しい科学技術です。こうしたこれまでにない国策的な将来につながる提案といいますか、そうしたものが復興計画の一つになればというふうに思います。」(平成23年 5月 2日(月曜日)15時00分~17時00分、宮城県庁にて、井上明久氏の発言より)
 ・第3回宮城県震災復興会議での井上氏の念押し発言。「先ほどの10年後の国際性にも通ずるのですが、10年後何か新しい、国から1兆円ぐらいに相当するような科学技術プロジェクト、例えば最初の会議で申し上げた宮城県も関係するリニアコライダー計画、ピンチをチャンスに切りかえてそういう科学技術都市を10年後に震災の復興後に目指すという点があってもよろしいのかなという印象を受けました。」(平成23年 7月13日(水曜日)10時30分~12時30分、東京のホテルルポール麹町で開催、井上明久氏の発言)
 ・井上発言を支持する小宮山議長のわからないがいいだろう発言。「井上委員がおっしゃった『10年後の国際性』というのは非常に重要だと思います。やはり、国際性というのはそもそも日本が今一番必要なものなのですが、少し先を見て、リニアコライダーがいいのかどうかというのは僕にはよくわからないのだけれども、いずれにしても10年たったときに仙台、そしてその周辺の観光地、観光地というのは風景だけで引きつけるものではなくなると思います。歴史、アーカイブとおっしゃっているような、いろいろなものがあると思うけれども、そういうもので国際的に魅力のある本当のまちになっているのかどうか、ここら辺を意識すべきだと思いました。」(平成23年 7月13日(水曜日)10時30分~12時30分、東京のホテルルポール麹町で開催、小宮山宏復興会議議長、株式会社三菱総合研究所理事長,東京大学総長顧問)
 ・以上、宮城県震災復興会議における第1回と第3回の井上発言とそれを支持する小宮山議長のまとめ発言を受けて、当時8月の最終案に急きょ国際リニアコライダー構想の推進が入ったことがうかがわれます。昨日(7月31日)に、この点を所管の震災復興企画部の震災復興政策課に確認したところ、「その通りです」との回答をもらいました。
 ※なお、国際リニアコライダーは7月中に国内候補1箇所の選定(岩手か九州か)をおこなうとされていましたが、その後の報道によれば日本学術会議の検討委員会は「誘致は時期尚早」「費用、他の学問圧迫」として、現時点では認めない方針を確認したと報道されています。この学術会議の検討結果を受けて日本政府の方針を決めるとされていたことから、事実上方針化は凍結・延長される可能性が高まっています。

2、東北メディカルメガバンクは保健福祉部長への1本の電話からはじまった

 (1)ずっと謎だった東北メディカルメガバンクが復興計画に入った経緯
  ・宮城県の復興計画に盛り込まれた内容を検証していくと、主に3つのルートがあることがわかります。第1は、野村総研との協議によるものです。これは水産特区や漁港や農地の集約化などが計画の事務局原案作成までに協議されています。第2は、宮城県の震災復興会議での議論をふまえて追加、加筆されたものです。スマートグリッドだとかPPP方式とか、国際リニアコライダーなどがあげられます。第3は、やはり事務事業関係については県の各所管が熟知しているということでコンサルにはわからない事業面の具体化はかなり担当部局がかんでいます。
  ・ところが、この東北メディカルメガバンクは、野村総研との協議には登場せず、また宮城県震災復興会議でも話題になっていません。唯一議事録で確認できるのは、すでに最終案で東北メディカルメガバンクが盛り込まれた後で、井上明久氏が第4回の復興会議で、「16ページに東北大学を中心としたメディカル・メガバンク構想を加えていただいており,こちらにはICTを利用した遠隔医療や遺伝子のことも書かれてあるのですが,東北メディカル・メガバンクという一番のキーワードが復興応援宣言には記述されていないので,整合性が少し気になりました」(平成23年 8月22日(月曜日)15時30分~17時30分、宮城県庁にて、井上明久氏の発言)とのべているだけです。
  ・その一方、村井知事が国の復興構想会議のメンバーとして、6月11日に開催された第9回復興構想会議で資料を提案し、東北メディカルメガバンクについて発言しています。村井知事が提出した資料には、「大学・研究機関等を結ぶ高度医療情報システムの構築→最先端診療と研究拠点としての(仮称)東北メディカル・メガバンクの創設」とあり、「3つ目は地域医療の再生。東北地方は従来から医師不足は深刻でありますが、この大震災により、一層その深刻さが増したわけでございます。仮称でございますが、東北メディカル・メガバンクという組織を創設いたしまして、人材育成や医療情報ネットワークの構築、ゲノム医療の基礎研究等に取り組もうというものでございます」(6月11日、第9回復興構想会議での村井発言)
  ・この村井発言が、東北メディカル・メガバンク構想を国が積極的推進する出発点とされています。資料が煩雑になるので、省略しますが、2012年に文科省が東北メディカルメガバンクの計画検討会を4月、5月と5回会議をやり、6月7日付けで提言をまとめていますが、その提言の経過で最初の発端は2011年6月11日の村井発言とされています。また、高橋ちづ子衆院議員が国会で論戦した際にも、村井発言が出発点である旨の答弁が正式にされています。したがって、この村井提言と発言がいかなる経過でおこなわれたのか、ここが大事なポイントということになります。
 (2)2011年5月に保健福祉部長にあった1本の電話
  ・昨日(7月31日)に、宮城県保健福祉部医療整備課に確認したところ、発災後の2011年5月に東北大学から岡部敦保健福祉部長に電話があり、東北メディカル・メガバンク構想推進への協力要請があったということが判明しました。部長は即座に協力を明言し、その後東北大学が構想の具体化を5月中におこない、それをふまえて村井知事が国の復興構想会議で発言したということです。東北大学の誰が電話してきたかは、医療整備課は明言しなかったが、私が山本雅之東北大学大学院医学系研究科長(当時)ではないかと言ったことについて、否定しなかったので、ほぼこれが事実ではないかと思われます。
  ※この事実により、5月23日に保健福祉部長に東北メディカルメガバンク問題で党県議団が申し入れした際に、部長が異様に興奮して「反論・弁解」していたと参加者が感じた真相の一端がわかりました。電話を受けた岡部部長が了承したことが出発点だったのですね。
 (3)官邸の政策会議→基本方針→第3次補正→日本再生戦略と進化する
  ・経過的には、官邸主導の専門家による政策会議である第2回医療イノベーション会議(議長:枝野幸男内閣官房長官・当時)が2011年6月16日に開催され、そこで山本雅之東北大学大学院医学系研究科長(当時)が、10ページにわたる「東北メディカル・メガバンク構想」の資料をもとに提案を行いました。公開されているこの時の議事要旨を確認すると、仙谷由人官房副長官(当時)は、「東北メディカル・メガバンクについては、全国の大学やナショナルセンターが協力の上、オールジャパンの体制で行えるようにしたい」とのべ、枝野幸男官房長官(当時)は「東北メディカル・メガバンク構想については、東北地方の復興、東北地方の方々の命と健康、さらには日本に医療イノベーションに向けて重要なものなので、前に進めていきたいと思う」とのべたとされています。
  ・平成23 年7月29 日に政府の東日本大震災復興対策本部が出した『東日本大震災からの復興の基本方針』で以下のようにメディカル・メガバンクが復興施策として書き込まれました。「医療の再生と医療機関の復旧に併せて、高度医療機関と地域の医療機関の連携・協力を確保した上で、情報セキュリティに配慮しつつ、医療・健康情報の電子化・ネットワーク化を推進するとともに、例えば東北大学を中心としたメディカル・メガバンク構想等を踏まえ、大学病院を核とする医療人材システムや次世代医療システムの構築及び創薬・橋渡し研究の実施」
  ・以上の基本方針への盛り込みもあり、8月に発表された宮城県震災復興計画の最終案にも急きょ盛り込まれたものと思われます。これは保健福祉部サイドからのプッシュによるものと推測されます。この点は、計画づくりの中心となった、震災復興政策課も担当の医療整備課サイドからの働きかけで入ったことを認めています。
  ・そうして、平成23年度第3次補正予算が同年11月21日に成立して、東北メディカル・メガバンク事業を実施するために必要な予算(約158億円)が措置されました。この事業の予算規模については、平成24年6月20日の総合科学技術会議における『「東北メディカル・メガバンク計画」の評価の実施について』の中で、今後の予算規模について、「事業(予算)の規模本事業については、平成23 年度第3 次補正予算として約158 億円、平成24 年予算として約56 億円が計上されている。平成25 年度以降の事業に係る予算計画は未定であるが、調査研究に係る事業実施期間は平成32 年までの10 年間と想定されていることから、事業費総額については、相当程度の予算規模になると見込まれる」とのべています。
  ・平成23年12月24日に閣議決定された、「『日本再生の基本戦略』について」の中で、東北メディカル・メガバンクが取り上げられ、「世界最先端レベルの個別化医療の実用化に向け、東北メディカル・メガバンク計画を始めとした次世代医療の環境を整備する」と記述されました。
  ・さらに、その後国家戦略会議で取り上げられ、文科省の提言が出され、東北大学と岩手医科大学に手交され、具体化への動きが加速することになります。
 (4)東北大学主導を強調する「機構」と村井知事主導を強調する「文科省」(国)
  ・ここで、非常に面白い現象があらわれていることを紹介しておきたい。
  ・まず文科省の提言にある東北メディカル・メガバンクの経緯を記した文章を見てください。『「東北メディカル・メガバンク計画」は、東日本大震災で未曾有の被害を受けた被災地において、総務省、厚生労働省の支援によって構築される地域医療情報連携基盤と密接に連携しながら、被災地の方々の健康・診療・ゲノム等の情報を生体試料と関連させたバイオバンクを構築し、創薬研究や個別化医療の基盤を形成、将来的に得られる成果を被災地の住民の方々に還元することを目指す事業であり、平成23年6月の東日本大震災復興構想会議等において、村井宮城県知事から政府に対して要望があったものである。その結果、被災地の復興に必要な事業として「東日本大震災からの復興の基本方針」(平成23年7月29日東日本大震災復興対策本部)、「日本再生の基本戦略」(平成23年12月24日閣議決定)に掲げられた。』とあり、村井知事からの要望を第一義的に記述しています。
  ・これに対し、東北メディカル・メガバンク機構の公式ホームページにある経緯の文章を次に引用してみます。『東北メディカル・メガバンク構想は、平成23年6月16日(木)に第2回医療イノベーション会議(議長:枝野幸男内閣官房長官・当時)において、山本雅之東北大学大学院医学系研究科長(当時)が提案を行いました。また、宮城県の村井嘉浩知事は同年6月19日(月)に行われた第9回東日本大震災復興構想会議で行った提言の中で、「地域医療の再生への医療連携システムの構築と診療拠点の整備」のために、東北メディカル・メガバンク構想の実現の必要性を述べています。また、同年10月に発表した宮城県震災復興計画の中で東北メディカル・メガバンク構想について、「医療従事者の不足が懸念される中,東北大学を中心としたメディカル・メガバンク構想等を踏まえ,ICTを活用した地域医療連携システムを構築し,県内どこでも安心して医療が受けられる体制を構築」と記述しています。これらの動きを踏まえ、同構想を盛り込んだ平成23年度第3次補正予算が同年11月21日に成立して、東北メディカル・メガバンク事業を実施するために必要な予算が措置されました。さらに、平成24年度予算案にも本事業を実施するための予算が計上されています。また平成24年 第4回 国家戦略会議で、東北メディカル・メガバンク計画が取り上げられ、医療イノベーション5か年戦略(中間報告)の中でも言及されました。さらに平成24年6月6日の第5回医療イノベーション会議で策定された医療イノベーション5か年戦略に、東北メディカル・メガバンク計画に関わる記述が記されました。同年6月7日には文部科学省で東北メディカル・メガバンク事業への提言手交式が行われ、事業を進める東北大学と岩手医科大学に手交されました。なお同年8月31日、総合科学技術会議(第104回)において「東北メディカル・メガバンク計画(『健康調査、バイオバンク構築、解析研究』)」の評価結果(案)が検討され、評価結果が決定されました。平成25年6月14日に9大臣の申し合わせにより決定した健康・医療戦略では、健常者(住民)のコホート研究・バイオバンクの一つとして、東北メディカル・メガバンク計画が取り上げられています。』かなり長い引用になりましたが、これが機構掲載の経緯を示す文書です。
  ※機構の文書では、明らかに村井知事が政府の復興構想会議で提案したのは、6月19日ではなく、6月11日です。なぜ日付を「改ざん」(?)までして、書いているのか、真相は現時点では不明ですが、おそらく東北大学がまず主導したということを鮮明にしたかったのではないかと思われます。だから、先に村井提案があっては困るのです。しかし、事実は村井提案(6月11日)があって、官邸の政策会議(6月16日)という事実関係は動かしようがなく、東北メディカル・メガバンク機構の文書の記述の誤りは明らかです。 

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